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1:2014/04/15(火)03:50:15 ID:
「人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり……」
かの織田信長も出陣の際に口にした名言である。ー人の一生はたかだか50年で、天上世界の時間に比べたら夢や幻のようなものである ̄と。

この世に私が生を受け今日で50年だ。人生の中で職歴はわずか半年、童貞歴イコール年齢。人生の大部分をニートとして過ごしてきた。

本来ならひっそりと生きて行くべき人種であろう。だけど何故だか、書かなくてはいけない気がした。
嘲笑されてもよい、情けないと思われてもよい、ただ私の反省を遺さなくてはならない気がした。ここでしか私の居場所がないと本能で分かっているからかもしれないが、、

ということで、僭越ながら私の反省を勝手に語らせていただくことを、お許し願いたい。
25:2014/04/15(火)12:20:54 ID:
文章も読みやすかったし面白かったよ!
ニートにも色々いるんだなあと感心した
バブル期に就任なんて、高望みしすぎなければどこにでも入れたんじゃないの?
最初に働いたのが新聞記者じゃなく もっとホワイトな会社だったら、>>1も今頃 家族があって部長くらいになってそう
37:2014/04/15(火)17:41:47 ID:
氷河期組と違って、>>1の新卒時はディズニーで入社式とかあったんじゃ無いか?
39:2014/04/15(火)19:06:09 ID:
CDにやたら突っ込まれますが、本当に書き間違えただけですよ。
例えばコンピュータで文字を打った時に、それをワープロで打ってたとしても、もう今パソコンしか使ってないので、ふと「パソコンで打った」って多分言いますし。

>>37
ディズニー入社式は私の回りでは聞いた事ないですけど、内定者を旅行に連れて行く類いのもてなしはかなり多かったですね。
私も2泊3日の旅行に連れていかれました。
3:2014/04/15(火)03:52:03 ID:
スレタイ間違えました。本当どうしようもないですね。「反省→半生」です。

私は1964年、東京オリンピックの年にとある地方都市に生まれた。まあ今もそこに住んでいるのだが、、
父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦といういたって普通の家庭である。
ただ私の母親はいわゆる「教育ママ」であった。親が言うには私が生まれてからすぐ英語のCDを聞かせたりしていたそうだ。
親から聞いた話だと3歳になるかならないくらいの時と記憶しているが、いわゆる幼児教育をする塾にいれられた。

個人差もあるが人間の覚えている記憶は3、4歳くらいからのものであるという。私の頭の中の記憶もこの年代からのものだ。
おぼろげに覚えているのは、私が塾で良い成績を取ると褒められ、悪い成績をとったり、自宅で勉強に集中していなかったりすると怒られていた。
特に怒られていた時はひどかった。容赦なく叩かれたし、玄関の外に閉め出されたりした。カギのある部屋に長時間閉じ込められ小便を漏らしてしまったことは特に嫌な記憶として今でもしっかり覚えている。もしかすると今の世の中の流れだと虐待として児童相談所に保護されてもおかしくないレベルかもしれない。
この母が私の人生に大きな影響を与えていくことをここに記しておく。なのでしばらくは母の話が多くなってしまうことをお許し願いたい。

私の母は子供を「こういう子どもに育てたい」という気持ちがとても強かったのだろう。「元気で育ってくれさえすればそれでいい」と子どもの成長を願う親とは真逆である。
私の母と父はともに中卒である。母は自身の中卒という学歴に大変コンプレックスを持っていた。70代の母の世代を考えるとそこまでコンプレックスを持つことではないのではと思ったこともあるが、とにかく本人はコンプレックスを持っていた。
そして自分が中卒なゆえ、父のような稼ぎの少ない人間としか結婚できなかったのだと良く愚痴を聞かされた。
子どもに自分の成し遂げることに出来なかった夢を託す両親がスポーツ界や芸能界を中心に良くいるが、私の母もその一例だったのだろう。
母の夢は、私を一流大学に行かせ、多くの給料を払ってくれる一流企業に勤めさせることだったのだ。
「勉強していい大学に入れば、いい会社に入って幸せになれる。だから勉強しなさい」
2014年の今こんなことを言う親がいれば失笑モノだが、終身雇用が中心で、学歴社会も現在より強かった高度成長期の日本では良く耳にした言葉である。
私の母も良くこの言葉を口にした。
4:2014/04/15(火)03:53:15 ID:
そして母の言われるままに勉強した。私が4歳の頃に親の転勤で県外に引っ越した。引っ越し先は都会だったため、お受験熱も熱く、回りのママ友にも感化されたのか母の教育ママっぷりは一層加速していった。
もちろん塾の先生からもお受験を勧められており、母もぜひそうしたかったそうだが、私の父の稼ぎではそれは叶わなかったようである。その経験も母の「いい大学に入って、いい企業に入ってお金に苦労しないようにしなさい」という考えを加速させたのだと今になって思う。
そして公立小学校に入学する予定であったが、父が転職をし、再び生まれた県に帰ることとなり、地元の公立小学校に入学した。
私の出身県は田舎のため、小中高一貫の私立などなかったため、結果的に親としても良かったのかもしれない。

話は変わるが、私には5歳年下の妹がいる。妹も私と同じように小さい頃から幼児教育を施されてきた。
妹は小学校の成績はトップで中学まで進んだのだが、中学でいきなりグレた。髪を染め夜遊びが多くなり、親が学校に呼び出されることも増えた。
親からしたら妹は自分の理想の子ども像から外れてしまったのだ。最初は親も妹を説得していたが、途中から諦め完全に放任に走った。
私は良く母に妹の愚痴を聞かされたものである「あの子には裏切られた。小さいときからあれだけ勉強させてあげたのに」「もうあの子には何も期待してない」と。
母と妹の口喧嘩の時もよくその種の言葉を聞いた。妹を叱る理由は世間体などが全てであり、純粋に自身の娘を心配して叱っているのを見たことがない。
その時私は確信した。やはり母は子育てを自分の理想とするロボットを育てる行為としか思っていない。子どもが褒められることで、自分も褒められたような気分を感じているのだろう。だから褒められることのない存在に育ってしまった娘は母にとって「失敗作」でしかないのだろう。
私もいつかレールを外れてしまったらもう今のように接してもらえないのだろう。その事に早く気づいていたら私の人生も変わっていたのかもしれない。
5:2014/04/15(火)03:54:26 ID:
小学校は今思えばどこにでもいる小学生であった。外で友達と野球をしたり、駄菓子屋でお菓子を買って遊んだり、、昭和の典型的な子どもだった。
引き続き塾に通っていたため、学校の成績はトップだった。そのため小学生の時は良く親に褒められたものである。
そのまま私は地元の公立中学校に進んだ。複数の小学校から人が集まるため、友人も増えた。
中学といえば部活である。私はテニス部に入部し、健康的な青春の汗を流したものだった。勉強の方は、他の小学校の優秀な層も新たに加わったため、常に1番ということは厳しかったが、基本的に5番以内には入っていたように思う。

中3になり部活も引退し、周囲も進路の話が増えてくる頃である。私は地元の県立トップ校を希望していた。
良く周囲に「なんでその高校に行きたいの?」と言われていたが、幼い頃から母に「県立トップ校→一流大学→一流企業」というルートを刷り込まれていたため、特に理由などなかった。
その学校に行かなければ自分の人生は先に進まないと思っていた。

受験勉強に打ち込み、無事に志望校に合格。高校生活が始まった。
高校の入学式を終え、次の日に新入生の学力を測るための試験があった。どこの高校でも良くある光景だろう。
ここで私は人生初の挫折を味わう。なんとその試験の成績が、400人中で下から30番ほどだったのだ。
繰り返すが田舎県のため、私立でなく公立トップ校がその県のトップ校である。つまり県内から選りすぐりの精鋭達が集まっているのだ。
今までの自分は井の中の蛙にいたのだと思い知らされた。悔しさから勉強に力を入れるが、進度が速くて授業についていけず、試験は常に下から100番以内だった。
そして高3になり、大学受験を控え、共通一次に臨むが撃沈。受験した大学に全て不合格。浪人に突入する。
母も一流大学にいけるのなら、浪人しようが構わないと思っていたのだろう。特に反対されることもなかった。
6:2014/04/15(火)03:55:50 ID:
1年目は予備校に通い、順調に成績も上がった。今思えばあれほど真剣に勉学に取りくんだ時期だった。
成績も順調に上がり、旧帝大も狙えると言われ、旧帝大を受験した。しかしまたもや不合格。幼少の頃から「勉強すれば報われる」と聞かされて来た私にとって「努力が報われない」という初の経験だった。
しかし、私の中にも「自分は絶対に一流大学にいかなければいけない。そうでなくてはエリートになれない」とう考えが完全に浸透していた。
そんな時に母が「お金のことは気にしないでいいから、2浪してもいいよ」と声をかけてくれた。私は2浪を決意した。
しかし2浪したものの、1浪の時に比べ全く成績があがらない。勉強のやり方を含め行き詰まっていた。当時はネットもなく受験勉強の情報なども都会と田舎では格差があった。
予備校の先生は根性論ばかりで、今思うと暗記中心の無駄な勉強をしていたように思う。
結論からいうと2浪目も志望校に不合格、3浪目に突入する。
3浪目については何の面白みもなかったため、説明を省略する。そして結果のみ言うとまたもや不合格。そして滑り止めに受けていた私立大学に進学することになった。
偏差値的には二流大学といったとこだろうか。不思議と悔しさはなかった。もう精も魂も尽き果てていた。
ただ大学自体の知名度はあるため、詳しい偏差値など知らない母は「その大学なら十分よ」と励ましてはくれたのを覚えている。

そして大学時代に突入した。この時代が私の中で一番輝いていた。今でも良くこの頃を思いだして空想にふけったり、大学時代の夢を睡眠中に見たりする。
人の幸せ話ほど聞いていて面白くないものはないと思うので、大学時代も省略する。サークルに入り、初めての一人暮らしを満喫し、充実した大学時代であったことは確かだ。女っ気はなかったが、、
それ故に私はあの京都での生活を今になっても引きずっている。50歳にもなって、未だにあの青春をまた味わえるものと思っているのだ。
頭は薄くなり、腹は出ても、また夕焼けのキャンパスを歩くあの娘と恋愛関係になれるという妄想をしているのであるからどうしようもない。
7:2014/04/15(火)03:57:20 ID:
4年生になり、人生の一大イベント就職活動である。当時世の中はバブル景気に湧いており、就職活動も楽観視されていた。特に金融系などは大量採用だったため、非常に入りやすかった。
ただ3浪の私はハンディがあった、その中で年齢制限が非常にゆるい会社があった。新聞社である。
私は受験し、不思議なことに選考がトントン拍子で進み、某全国紙の新聞社の記者としての内定を得た。私はそこに入社を決めた。
職業に貴賤をつけるのはよろしくないが、やはり世間的に新聞記者の社会的地位は高い。母に報告したら喜んでくれた。
その時は母も自分の思った通りに息子が育ったと安堵しただろう。
ちなみに私は高校の時に1度父が会社に倒産により失業している。そのため母は私に絶対に倒産しない公務員になってほしいと学生時代ことあるごとに言うようになっていた。それでも私の内定を喜んでくれた。
まあ、この母の「息子を公務員にしたい願望」を私は後に利用することになる、、、

そして入社後すぐ、私は地方の県庁所在地に配属された。新人は入社後すぐに地方の県庁所在地に配属され、記者としてのイロハを覚えることになっているのだ。
ご存知の方もいるかもしれないが、マスコミはかなりの激務である。事件が起きれば昼夜を問わず駆けつけるし、大きな事件が起きれば休みなどふっとぶ。
また新人はボロ雑巾のように酷使されるため、休みなどほぼない。というか会社に住んでいた。会社に4畳半ほどの部屋があり、新人はそこに住み込むことが慣例となっていた。
サイレンが聞こえれば現場にカメラを持って直行。事件に追われる地獄のような日々が続いた。今思い返しても本当にこの時は地獄だった。移動の自由もない奴隷のような気持ちになっていた。
日に日に私は生気を失っていき、入社から半年ほどたった秋の日に過労で倒れた。
一応過労からは復帰したが、食欲もいっこうにわかないし、常に頭がぼーっとして体が思うように言う事を聞かない。何をしてもだるいし寝付けない。
今思えば鬱病になっていたのではないかと思う。しかし当時はあまり鬱病が世間に認知されていなかった。
そして師走の夜中に一人で会社にいた時に「このままでは死んでしまうかもしれない」とふと思った。
次の日私は上司に辞意を伝えた。
8:2014/04/15(火)03:58:35 ID:
そこからの記憶はあまりない。ただ失意のうちに実家に帰り、母に事情を伝えた。2ヶ月ほどは狂ったように寝てばかりいた。やはり今思うと鬱病になっていたのではと思う。
そして春になるころ、ようやく元気が出て来た。だがその頃大事件が起きる。バブル崩壊である。
これにより、私の再就職に暗雲が差した。
また、一度新聞社に入り、回りから「凄いね」と言われる味を知ってしまうと、もう普通の中小企業で働こうと思わなくなっていた。ちっぽけなプライドが邪魔をしているのだ。これは今も引きずっている。
でもたった職歴半年の私を雇ってくれる大企業など存在しないだろう。さらに私は地元に帰りたくなっていた。となると田舎で高い社会的地位の仕事は公務員しか残されていない。
半年の勤務だったが、全く金を使っていなかったのである程度の金はあった。その金で公務員受験の専門学校に通い始めた。
入学したのが4月で、公務員試験は毎年6月である。さすがに2ヶ月での合格は難しかったため、翌年の合格を目指した。
しかし不合格。志望自治体の年齢制限は28歳であったため、これにて私は受験資格を失った。

だが私はまだエリートとして生きる道を模索していた。残された道はないのか、、私は光を見つけた
「司法試験」である。
私の親は何も言わず賛成してくれた。実家に住まわせてくれ衣食住にも困らなかった、小遣いももらっていた。
私は親の「息子をどうしてもエリートにしたい」という気持ちを利用していたのだ。
実情はただのニートだ。だが受かってしまえば社会的地位がグンと高くなる。どうしても息子にエリートになって欲しい母は、息子が中小企業に勤めるよりは私がエリートになれるチャンスに夢を見たのであろう。
独学での司法試験勉強は困難を極めた。結論からいうと私は12年間司法試験受験に費やし、撤退した。4回は択一に受かったのだが、最終合格はならなかった。
気づけば私は40歳になっていた。大学時代の友人達は結婚し、子どももいるだろう。自然と涙がこぼれてきた。40歳になったのを機に司法試験から撤退した。
9:2014/04/15(火)03:59:53 ID:
これからどうやって生きようか、、幸い親はまだ生きていた。
もう働く気力もなかった。気力があった所でこんな自分を雇ってくれるところはどこにもないだろう。私はいかにして親に「寄生」できるかを考え始めた。
私はやはり親の「息子にはエリートになって欲しい」気持ちを利用する事を思いついた。
私はある嘘を思いついた「居酒屋で酒を飲んでいたら、客として来ていた地元選出の国会議員と話す機会があった。そこで境遇を話したら「俺の事務所を手伝わないか?」と言われた」というものである。
国会議員というものは、閣僚や党幹部などを除き、一般的に週末には地元に帰り、地元で活動をしている。なので毎週末に地元の事務所と活動をボランティアで手伝わないか?と声をかけられたというものだ。
そしてもし君の働きぶりが良かったら秘書にしてあげるよと言われたとウソをついた。
親はそのウソを信じ、「頑張りなさい」と励ましてくれた。ちなみにネットを覚えたのもその頃である。月~金は家でネットをし、土日は「議員の手伝い」と称して図書館などで時間をつぶしていた。
そしてそのウソをつき続けて半年後さらにウソを重ねた
「議員さんが引退した後に、俺を後継者にしてくれるって言ってくれたんだ。俺国会議員になれそうだよ」というものだ。
親は本当に喜んでくれた。これでまた息子がエリートになれると。俺は正直心苦しかったが、この時は生きて行く事に必死だった。

そしてそれから10年が経ち今に至る。まだその議員は国会議員に選ばれ続けているので、私のウソがばれることもない。
そして私は相変わらず親元で暮らし、月~金は2chをし、土日に「事務所の手伝い」に行っている。
親には毎月小遣いをもらい、衣食住の面倒を見てもらっている。
親は私に特に何も言う事はなく、普通に接してくれる。そして特に仕事を探せなどと言う事もない。
なぜなら私は「未来の国会議員」なのだから、、、

終わり
10:2014/04/15(火)04:01:55 ID:
思わずとても長くなってしまいました。
こんなどうしようもない人間ですが、もし読んで感想などいただけたらうれしいです。

もちろん質問などあればなんでも答えますよー!
11:2014/04/15(火)04:21:31 ID:
恐ろしい…
12:2014/04/15(火)04:22:59 ID:
そのちっぽけなプライドというやつとの決別方法を見つけられましたか?
13:2014/04/15(火)05:10:36 ID:
ネタじゃないのなら、
かなり恐ろしい。
退職1ヶ月ちょっとで
焦ってる自分が阿呆らしくなる。

親御さんがもし死去されたとしたら
とは考えた事ないんですか?
16:2014/04/15(火)05:31:53 ID:
>>12
情けないことにまだ見つけられてないんだと思います。見つけれたら介護の仕事とかでもしてると思いますし。

>>14
そしたら働くしかないですよね。でも仮にそのとき60歳とかになってる自分を受け入れてくれる所があるのかどうか。
17:2014/04/15(火)05:42:11 ID:
俺も正社員でうまくいかなくて、今ニートだから、ズルズルとその道に進みそうで怖い。
何かゾッとする。

ちなみに親御さん、妹さんは今何してるの?
19:2014/04/15(火)06:33:24 ID:
>>17
親は年金暮らしです。妹は普通に結婚してます。
21で結婚して、すぐ子どもも出来たんで、僕の甥っ子ももうすぐ30歳くらいです。
なんか切ないですねw
20:2014/04/15(火)06:34:09 ID:
ああ、間違えました、もうすぐ25歳くらいです。寝ぼけてました。
22:2014/04/15(火)07:33:39 ID:
1964年にCD…ゆとりここに極まれり
23:2014/04/15(火)08:06:12 ID:
なんと言うか。人の人生それぞれだな。
24:2014/04/15(火)10:49:50 ID:
当時で言うとレコードですね。こういうのは当時のものでもつい今の言葉で言ってしまうものなんです。
35:2014/04/15(火)17:39:19 ID:
CDですぐ気がついた。

だが内容自体は大筋であり得ない話じゃない。
何かと理由付けして親に寄生しつづけてる中年は必ずいるだろうな。
気をつけねば・・・
36:2014/04/15(火)17:41:01 ID:
というか作り話でホッとしている自分がいるんだが・・(ゾッ

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